殿山窯ー矢野直人さん
器が生まれる場所を実際に見てみたいと、唐津の矢野直人さんを訪ねました。
肥前名護屋は秀吉の朝鮮出兵のための拠点となった場所。矢野さんの殿山窯は秀吉が数か月で築いたという名護屋城跡の近くに位置し、徳川家康や伊達政宗など、名だたる武将の陣屋跡に囲まれています。当時、この工房から臨む小さな入江に、無数の船が並んだのだそうです。
陶芸家 矢野直人さん
坂を登ると、堂々とした登り窯が出迎えてくれました。矢野さん: 登り窯は5つの部屋でできていて、一番最初の部屋を「胴木間(どうぎま)」と呼びます。
一番はじめの部屋、胴木間
入り口中央の赤いレンガ部分から器を入れ、薪をくべます
胴木間の上に4つの部屋があります
あらかじめ5つの部屋すべてに器を入れ、胴木間から火を入れます。胴木間が1200-1300度になると、次の部屋は余熱で1000度くらいになります。次の部屋は横から薪をくべることができるようになっていて、そこを燃やすとまた隣の部屋に熱が移ります。これを上の部屋まで繰り返します。
Joiさん: 各部屋には違う種類の器を入れるんですか?
矢野さん: 空気穴から酸素をたくさん入れて焼きあげる方法を酸化焼成、空気穴をしぼり、酸素が少ない不完全燃焼で焼き上げる方法を還元焼成と呼びます。柔らかく黄色い赤っぽいイメージの器は酸化焼成、有田焼や青磁といったブルーやグリーンの硬い冷たいイメージの器は還元焼成なんですね。部屋ごとに焼き方の違いを出すことができるので、完成形のイメージを想像しながら入れる部屋を変えています。
焼き時間も焼き物によって変わり、土物の備前などは3、4日かかりますが、唐津のような釉薬ものは釉薬を溶けたら焼き上がりなので、この大きさの窯なら丸一日で完成です。
Joiさん: 時間や温度を変えることで、イメージに合わせた作品を作るんですね。年に何回くらい火を入れるんですか?
矢野さん: 暑いというのと、湿度が焼き上がりに影響するので、夏場は避けて、だいたい年10回くらいですね。
ではさっそく絵付けに挑戦しましょうか。
唐津焼の絵付けに挑戦
そう、この旅のもう一つの目的は、Joiさん自身でお茶会に使うための数茶碗の絵付けをすることなのです。
絵付け前の器を矢野さんがあらかじめ準備してくださいました。
描く前に、鉄絵の濃さを変えることで、焼き上がりの絵に表情を付ける方法や、指で直接描く方法などを教えていただきました。細かに描き込むのではなく、抽象的な表現にすること、また余白を重視してポイントを絞って描くと、「唐津らしさ」が出るのだそうです。
焼く前の茶碗はとても柔らかいので、ふちを持たないように気を付けて
鉄絵。濃さを変えて絵の風合いを調整できます
新聞紙で試し書きをしてから、まずは湯呑で練習してみました。

土が鉄絵を吸い込んでしまうため、新聞紙で描くようにはいかないのが難しいのだそう。

一度コツを掴むと、どんどん制作が進みます。本の意匠を参考にしながら、色々な絵を描きました。
古唐津の表現を参考に
今回この旅をご案内くださった、福岡「万」の徳淵卓さんも挑戦
筆使いにも慣れてきました
最後のひとつが完成!
はじめてとは思えない出来栄えです
そうして12個の作品が出来上がりました。焼きあがると少し小さくなり、また筆跡(ふであと)も変わって来るのだそうです。焼き上がりが楽しみです!
唐津焼の歴史に触れる
作業の後、名護屋浦を臨むギャラリーでお茶をいただきながら、お話を伺いました。
矢野さんは作り手であるとともに、古唐津を中心とした陶磁器の収集家でもあります。
古唐津を手にお話を伺いました
陶片の数々
引き出しには、古い陶器の破片がいっぱいに詰まっています。これらの破片から、当時の焼き方などを研究されているのだそう。
矢野さん: 秀吉が陣を構えた1590年代、唐津に韓国から陶磁器の技術が入って来た頃です。この頃、韓国では白磁を焼き初めていたんです。釉がかかった器は、当時の最先端技術といっていいでしょう。それまでも位の高い人は、漆塗だったりガラス質の釉薬のものを使えただろうけど、庶民は土器や木を彫ったような、かなり原始的な器を使っていた。そこに表面がつるつるで、何度も洗える器が入ってきたことは、衛生面でも大きな進化だったと思います。僕たちの感覚で言うところの、ガラケー誕生くらいのインパクトがある出来事だったんですね。
当時の茶人が茶会で使うことを考えて、「こういう大きさ、形、絵柄が欲しい」と韓国から連れて来た陶工に作らせました。つまり、技術は韓国、文化は日本、素材は唐津で作った器が日本全国に一気に広まった。唐津でも初めは白磁を焼きたかったんじゃないかな。でも唐津の土は白磁には向かなかったので、白磁にはならなかった。
その後有田の方で、白磁に適した土が取れることが分かって、唐津焼は一気に取って代わられ、衰退したんです。スマートフォンが出て来たようなものですよね。そうしたことから、唐津焼が大きな注目を浴びたのは、韓国から技術が入って、有田焼が始まるまでの2、30年と言われているんです。

古の茶人たちや陶工の姿を想像しながら器を手に取ると、これまでには見えてこなかった風景が見えるような気がします。

「少し大げさな言い方になるかも知れないけれど、空気や土や水、そこから育つ食物など、人間が必要な分はもう、全て与えられているんじゃないかと感じることがある。そうした恩恵の中で焼き物を作れるということをとても有難く思います」という矢野さんの言葉が心に残りました。
唐津の地で、器を通じて歴史を深く知る矢野さんの言葉で茶の湯の源流に触れられたことは、これからのJoiさんのお茶にも大きな影響を与えることでしょう。

文:山平昌子 写真:山平敦史