2025年9月25日に裏千家東京道場で好日会が開催されました。この日は濃茶席を潮田洋一郎氏、薄茶席を伊藤穰一氏が担当する数寄者同士の会となり、500名近いお客様がいらっしゃいました。

幸福の文 A letter of Happiness
薄茶席の床の間には、曽呂利新左衛門の文が掛けられています。私は軸の説明を受けながら、はるか昔の京の町を軽やかに抜けて行くひとりの男を想像しました。その手には一輪の菊。城に戻った男は、おもむろに筆を取ります。
「秀吉殿の命でお参りした北野天満宮の帰りに菊を見つけました。めでたき姿を「祝い星」と名付けましょう。先日お見せくださった羽箒を頂けますでしょうか。その箒で幸福を掃きよせたく存じます。 千利休殿 —曽呂利新左衛門」
曾呂利新左衛門「幸福の文」
曾呂利新左衛門は、落語の始祖、安楽庵策伝と同一人物とも言われ、秀吉とのユニークなエピソードを多く残す人物。なるほど、約400年前に書かれたとは思えない生命力と茶目っ気が伝わってきます。
今しがた待合で拝見した羽箒は、この手紙に書かれた幸せを掃きよせるための羽箒だったのですね。鶴の香合には、好日会での初めてのご亭主をされる祝いの意味も込められているのでしょう。
待合の羽箒と香合
その羽箒は、静かに別の物語を持つと伺いました。森川如春庵が、関東大震災で傷心した益田鈍翁に送ったという云われです。森川如春庵は、若くして本阿弥光悦の名椀「乙御前」「時雨」を手に入れた強運の持ち主として有名な、名古屋の茶人。床の「幸福の文」も、彼が所持していたのだそう。それぞれの由来を持つお道具の取り合わせから、今日の亭主が茶会に込めたメッセージに思いを馳せました。
茶の湯の中の禅 Zen in chanoyu
今日のご亭主、伊藤さんがお見えになりました。お茶の先生、奥谷宗禮先生とご一緒です。
奥谷宗禮先生(左)と伊藤穰一さん(右)
今日のお菓子は銀杏餅。柔らかな求肥に包まれた走りの銀杏に舌鼓を打ちながら、伊藤さんのお話に耳を傾けました。
銀杏餅 和久傳製
長くアメリカで過ごされ、数年前にお茶を始めたという伊藤さん。どうしてお茶を始めたのか、またどのようなところに魅力を感じているのか、鵬雲斎宗匠とのエピソード・・千葉工業大学の学長らしい、平易な言葉でお話してくださいました。
今日伊藤さんは、お茶の中の「禅」を意識した取り合わせを意識されたのだそう。手紙の中の「祝い星」、菊をいけたのは、手紙の宛先でもあり、わび茶の祖である利休の花入。周囲を圧倒する佇まいです。
千利休 花入「尺八」
利休は竹という粗野な素材を茶室に持ち込み、真っ黒な樂茶碗を生み出しました。この花入の迫力はそのまま、茶の湯に利休が与えた衝撃を象徴しているように見えました。
主茶碗に選ばれたのは、南宋時代の青磁。利休が敬愛した茶人、珠光が愛用したことから、珠光青磁と呼ばれる茶碗です。柔らかいブルーに、イスラムの文字を想起させる自由な線描が釉薬の下に施されています。
主茶碗 珠光青磁
この茶碗が生まれた南宋時代も、そして利休が活躍した時代も、動乱を極めた時代でした。明日の命をも知れない日々の中で、その後何百年の人々を驚嘆させ続ける新たな美が創造されたのです。
そういえば先に回った潮田洋一郎さんの濃茶席でも、床の掛け軸は南宋時代のものでした。本席には長次郎から現代までに続く、楽家の16代分の黒茶碗が並ぶという豪華な設え。ずらりと並んだ茶碗から、長次郎から現代までの茶の湯の美意識の変遷を感じ取ることができるようでした。また何よりも、利休と長次郎が確かに新しい美を提示したこと、それが禅の精神を色濃く投影したものものでもあったことが、より鮮明に伝わって来ました。
一方伊藤さんは、待合床に西田幾多郎の「悠遠」を掛けました。「悠遠」とは、はるかに遠い時間や概念の流れを示す言葉です。西田幾多郎は千葉工業大学の創立者の一人であり、禅の思想にもとづいた日本独自の哲学を生み出し、それを西洋に伝えた人物として知られています。彼の代表的な思想である「純粋経験」は、あらゆる先入観を排除した状態で、物事をありのままに経験することを意味します。
西田幾多郎筆「悠遠」
伊藤さんは今、その精神を茶の湯の中に見出し伝えていくことを模索しています。千葉工業大学では「気づきの原則」という授業を担当。この授業はメディアラボ時代から数えて11年間続けているもので、テンジン・プリヤダルシという僧侶とともに進めているのだそうです。授業の中で学生たちは哲学を読んだり、瞑想や議論を通じて自己の気づきを深めていきます。

テクノロジー系の人の間で我々はコンピューター・シミュレーションの中に生きていると信じる人がいると、伊藤さんは教えてくれました。そして私たちにも問いかけます。「目を閉じてみてください。本当はここが、実はコンピューターの中の世界の中にいると感じる方はいますか?」
伊藤さんは利休の時代に作られた茶道具に触れてもらい、それを使ってお茶を飲む機会を提供することによって、私たちはシミュレーションではなく、純粋な経験を知覚する力を持っていることを再認識してもらおうとしているのです。
その体現の場として、伊藤さんはこの春、大学に新しい茶室「青灯亭」(※千葉工業大学NEWS CIT(P.3))を建てました。そうした経験はきっと、学生が作る未来のテクノロジーに反映されていくのでしょう。
利休の花入れは、数人の武将を経た後、日米修好通商条約に関わった井伊直弼が所持しました。そして今、国際的な動乱の時代にアメリカで人生のほとんどを過ごし、テクノロジーの最先端を担うメディアラボ所長と千葉工業大学学長を歴任する伊藤さんがそれを所持していることは、偶然ではないように感じます。
流暢で面白い語り口に皆が引き込まれ、茶席の最後には拍手が起こるほどでした。また新たなお茶の時代が始まるのかも知れない。そんなことを感じた、秋の一日となりました。
伊藤さんが鵬雲斎宗匠より頂いたという色紙