山平敦史
山平昌子
初釜に向けて、仲間とともに
千本松に囲まれた沼津倶楽部
すぐそばに駿河湾を臨む沼津の地に、土地の人々が400年以上も守り続けた千本松原があります。その一角に、大正時代の趣味人、三輪善兵衛が「千人茶会を催したい」と建てた茶亭が、沼津倶楽部の約110年の歴史の始まりです。
松の間から富士山を臨む
まっすぐに伸びた松の間から雄大な富士山が姿を見せる、最高の初釜日和となりました。
入り口を入ると見えてくる長屋門は、大正2年に造られたもの。数寄屋意匠を用いた草庵風の佇まいです。
長屋門とともに有形文化財に指定された茶亭が、今日の会場。朝の光が、吹きガラスごしに柔らかく注いでいました。
今日のお客さまは伊藤さんが学長を勤める千葉工業大学の職員や先生、そして学生さん。学生さんはデザイン科の生徒さんが多いようでした。水屋では、茶道部のメンバーが準備を進めています。
お茶席の前に、この春大学に竣工予定の茶室を設計された三井嶺さんとのパネルディスカッションが開催されました。
パネルディスカッション
共同出資した沼津倶楽部にいい茶室があるからと、お茶を習い始めたことが、伊藤さんの今につながっています。お話はそんなエピソードから始まりました。
伊藤さんが学長を勤める千葉工業大学に竣工予定の茶室は、京都の山崎にほど近い、島本町(大阪府)にある水無瀬神宮に現存する、御水尾上皇から下賜されたと伝わる茶室「燈心亭」をもとに設計されました。
通常、茶会ではメインゲストである正客に向けたおもてなしを重要視することが前提となっているため、茶室もそのような作りになっています。しかしこの茶室は、点前座が一般的な場所から少しずれていて、自然に全てのお客さまと向き合うことになります。その主客のあり方が大学の茶室にふさわしいと考え、この三畳台目の設計を採用されたのだそうです。
また宮家の茶室であることから、千家のお点前を想定されていません。そのため、裏千家を学ぶ茶道部が実際に使うと、おそらく想定通りにいかない部分もあるのだそう。実際に使うことで得た気付きを、お点前の本質を考え直すきっかけともして欲しいとのことでした。
その後お話は、茶室の設計の端々に盛り込まれた自然への畏敬、伝統に少し手を加えることで新しさを訴求していく「写し」の考え方、設計が人の意識に与える影響などもおよびました。特にデザイン科の学生たちにとっては、現在勉強中の内容と通じる部分が多かったのではないでしょうか。
最後に伊藤さんから、明治から戦後の茶道の変遷にも触れながら、今の時代に茶道が生き残っていくために、何を守り、何を変えていくべきかを大学という立場から考え、行動していきたいと締めくくられました。
竣工後の席披き(せきびらき)、そして2026年の初釜に向けての準備を進めており、決めること、やるべきことがたくさんあります。
特に大学の初釜は、たくさんのお客様をお招きする重要なセレモニーです。今日の茶会は、いわばその決起集会。ここに居合わせたメンバーはみな、来年の初釜プロジェクトに向けた秘密結社のメンバーとなりました。
濃茶席
濃茶席には、千葉工業大学の教育方針づくりにも関わった哲学者、西田幾多郎の「水到渠成(すいとうきょせい)」が掛けられていました。水が流れ続けると、自然に溝が出来、やがて渠を成すことを指す言葉。ひいては、辛抱強い学びが道を作ることを示しています。
花入は利休の「尺八」を。織田信長の弟である織田有楽斎、土屋家、そして井伊直弼に渡った品です。冴えわたった空気の中、学びの姿勢を改めて問われているような、ぴりりとした床の間となりました。
ご正客を務めたのは、茶道部顧問の神山先生。始まるまでの間に、お茶会が初めてという学生たちに基本的な作法などを教えていらっしゃいました。
まずは、お楽しみのお菓子から。
今日のお菓子は、巌邑堂の花びら餅。柔らかいお餅にくるまれた白味噌と甘い牛蒡の、初釜らしい味わいが口の中に広がります。
お菓子を頂いている間に、伊藤さんによるお点前が始まりました。
主茶碗は、平瀬家に伝来した珠光青磁。珠光とは利休が尊敬した茶人、村田珠光のこと。内側に、猫掻手(ねこかきで)と称される、猫のひっかき傷のような模様が描かれています。中国では雑器として使われていたものが、桃山時代の日本で珍重されました。
替茶碗は当代樂吉左衛門の作。ざらっとした手触りと重みが心に残りました。
高台の、平で渦巻きのような形状が特徴的です。
合わせたのは、武野紹鴎好の黒棗。その時代の漆が、今も美しい姿を保っていることに驚きます。
茶杓は伊藤さん自作の「知足」を。学びの途上にあるご自身の姿に重ねてとのことでした。
学生さんたちはお道具を手に取り、そのデザインや重さ、手触りを真剣に確かめていらっしゃいました。
薄茶席
部屋を移動して、薄茶席に入ります。主茶碗は、鮮やかな金色のお茶碗。
現代の作家、田中雅文さん作の茶碗、JEWEL”ゴールド”。金の艶やかさをあえて押さえたマットな質感が、豪華でありながらも落ち着いた佇まいを醸し出しています。
替茶碗は大上裕樹さん作。旅茶盌なので小ぶりですが、金属が波打つような様がダイナミックな世界観を表現しています。
千家の初釜では、金と銀の「嶋台」と呼ばれるお茶碗が使われるそうです。その取り合わせを現代作家の作品で表現したのでしょうか。
薄茶席は時折笑いも生まれる、和やかな時間となりました。
松葉蒔絵の大棗は、その梨地の精巧さに「どう作っているんだろう」と話題に。
お茶碗の見方や取り合わせの考え方などを、先生方が学生さんたちに優しく教えていらっしゃいました。
茶室見学
最後に、今日は使わなかった茶室を見学しました。京都から移設されたという三畳台目の茶室は、全くの偶然に、大学の茶室とそっくりな設計。点前座がお客様の真ん中にある作りです。
様々な高さに配置された大きさの異なる窓から、障子越しに柔らかな光が射し込んで来ます。通常の日本間では、神聖な床に向かって畳の目を向かわせることは禁忌とされていますが、天井や畳の目が床に向かっていることからも、宮家の茶室の写しだと考えられます。
三井さんによる丁寧な説明で、当時の設計者のこだわりと遊び心を感じることができました。説明の最後には、順番に点前座に座り、お客様に囲まれる暖かな感覚を味わいました。
終わりに
濃茶の席中、隣に座った学生さんが、伊藤さんのお点前を見て「かっこいい」と呟きました。薄茶席では、茶碗のデザインを熱心に観察する人も。同じ場所を過ごしたとしても、それぞれが見つけた美しさを持ち帰ったことでしょう。学生達の素直な反応は、茶会の持つ懐の深さを改めて感じる機会となりました。
そして何より、パネルディスカッションや茶席で目にした、学長自ら学び行動する姿には、学生の皆さんも大きな刺激を受けたのではないでしょうか。
水が流れて行くところには自然に溝ができることから、時が熟せば物事は自然に成就するという意味も持つ「水到渠成」。西田幾多郎の大らかな文字が、この希望に満ちた一日を穏やかに眺めているようでした。
新茶室での初釜プロジェクト。いよいよ本格始動です。
写真:山平敦史
文:山平昌子