山平敦史
山平昌子
東京タワーを臨む、乙巳の初釜(2)
お迎えの準備
お客様をお迎えする準備を進める伊藤さん。花をいれ、炭を整えます。床にかけられた花入の、息を飲むような迫力に思わずご由緒をお尋ねすると、織田有楽斎が所持し、その後井伊家に渡った利休尺八とのこと。箱書には、小堀遠州の特徴的な定家様の文字がありました。
生半可な覚悟では近寄れないような、それでいてどこか大きく暖かい佇まいが、利休の人となりを想像させました。幕末に諸外国と渡り合って開国を推し進め、茶を心の修練の場として向き合った井伊直弼が所持したという由緒も、伊藤さんの人物像との重なりを感じます。
今日のために準備したのは見事な雲龍梅とあけぼの。角度や長さを何度も試行錯誤し、今日の花を完成させました。
今日のお軸は「四海一家兄弟全」から始まる宗旦の書簡の試筆でした。末行は「年はじめ万花発する頃」と締められています。
待合に見立てた広縁の床には柳を。
そうしてお客さまをお迎えする準備が整いました。
濃茶席
晴れ着に身を包んだお客様が、待合から次々に茶室に入られると、新しい茶室が一層華やぎました。
厳かな気配の中で、濃茶のお点前が始まりました。
正客のお茶碗は近代の大阪の茶人である平瀬露香が所持した珠光青磁(南宋時代のもの)。雑器として作られたものという説明通り、大ぶりで頑丈な手取り。大陸の職人の、気取らない大胆な手技が伝わって来ます。
替茶碗は、十六代樂吉左衛門の今焼。若い当代の、器にかける情熱を、いや命の一部を焼き付けたのではないかとさえ感じさせる、燃えさかるような重さが忘れられません。
掌にしっくりと収まる黒棗は、武野紹鴎が好みで作らせた塗師のひとりである余三の作。溝口家伝来とあり、おそらく溝口秀勝の溝口家と推測されるそうです。金襴・緞子・間道の3つの仕覆が、幾人もの持ち主の手に渡ったことを示しています。
合わせたお菓子は、この席のために今朝、女将自ら京都からお持ちくださった、紫野和久傳の葛焼き「已己巳己(いこみき)」。この不思議な言葉は、互いに似ているものを例えた言葉なのだそうです。
お出しする直前に温めなおした葛に包まれて、蕗の力強い息吹が薫ります。とろりと喉に流れ込んだ甘みのある濃茶が、その息吹にぴったりと呼応するようでした。
薄茶席
薄茶席のお道具組は、先ほどと打って変わって軽やかな取り合わせとなりました。真葛焼 永誉香斎の日出波絵茶碗は、お正月にふさわしい晴れやかさです。
替茶碗は、イラストレーターで漆絵作家のソノダナオミの作。「東京版の洛中洛外図」と名付けられた茶碗には現代の東京の街が描かれ、その中心には東京タワーがそびえ立っています。
お菓子は、紫野和久傳の「紅」と菓心おおすがの「松葉ボーロ」。どこかほっとする味わいでした。
席はすっかり打ち解けて、唐物の莨入の朱の美しさや絵志野の火入れの細やかな絵付け等、莨盆のお道具話にも花が咲きました。
お茶が点つまでの間に、伊藤さんはお客様からの茶室の質問にお答えし、茶室のこだわりをご説明されました。見事な唐紙の襖と、あえて千鳥に割付けた障子を趣向に合わせて入れ替えることのできる造りは、桂離宮を参考にされたのだそう。
お茶会の後は、改めてお道具を手に取ってご覧いただく時間となりました。
予めお道具やお茶室の説明のプリントが準備され、お茶に詳しくない方や海外の方にも、ご自身が素晴らしいと思ったこのお茶の世界を共有したい、という伊藤さんの情熱が伝わってきました。
今日のお土産は大西常商店の特注扇子。名残を惜しみながら、和やかな今日の初釜はお開きとなりました。
終わりに
珠光・紹鷗・利休・宗旦・織部・遠州と、大茶人が一堂に会したような濃茶席と、現代作家の作品を用いた軽やかな薄茶席。
伊藤さんが初めて利休尺八に出会った日、床の間には大胆に水が打たれ、珠光青磁が取り合わされていたそうです。その鮮烈な光景に心打たれ、「尺八」を手に入れられたとうかがいました。今日のお茶席で、その景色を再現できたでしょうか。
窓からの眺めに、東京タワーの一部に米軍の戦車の鉄屑が使われているというエピソードを思い出しました。東京タワーの完成は1958年。その13年前の大空襲で東京は火の海になりました。さらにその22年前の関東大震災は、益田鈍翁ら近代茶人たちが活躍した時代です。井伊直弼が推し進めた開国は、東京タワー完成の、ちょうど100年前に当たります。
茶道具に導かれるように時代をさかのぼると、平安な時代の方がよほど短く、貴重なのだと感じられます。黎明期の茶人の道具は、戦乱の世の厳しさの中で生まれたもの。その後の幾多の動乱を運良く逃れた道具だけが今日ここに集いました。それらもいずれは、次の世代に受け継がれて行くことでしょう。
先人が繰り返し生活を立て直した歴史の積み重ねの上に、今の東京があります。同時に、この美しい茶室が地震と無縁でいられない大地の上に立つことも、海の向こうの戦禍が決して他人事ではないことも、私たちは知っています。
伊藤さんはこの茶室で、毎朝陽が昇る前から自主稽古をされるのだそうです。お茶に先人の強さと美しさをを見出し、その知恵を柔らかに周囲に伝えていこうとする伊藤さんの試みが、いつしか混乱の中にあっても新たな一日を築くための、大きな力に繋がるのかも知れません。
変化と再生の年とされる、乙巳(きのとみ)のお正月。その初釜に居合わせることができたことに、静かな喜びを感じました。
写真:山平敦史
文:山平昌子